天地日月の言霊

天地日月によって現れるモノ
目次

天地日月の言霊解釈前の前提

天地日月の意味を言霊で解釈説明していきます。

大まかな意味合いと働きは以下のようになります。

ア→吾 メ→目 ツ→付 チ→知

ヒ→日 ツ→点 キ→気 ク→組

これを頭に入れて、より具体的に見ていきます。

アメは天であり雨とも表されます。

雨が降らすのは水であり、ミスとは実を澄ますコトで神の恵の現れです。

天をテンと読んだ場合、中心点(・)というように真中(芯)であり、心とも表せます。

数霊でいうところの一の始まり、即ち一次元の始まりを意味します。

は手、輝、天といった意味です。

は無響音で宙から地に落ちた音を意味し、テンと続けて読むことで「手が差し伸べられる様」を表します。

は地であり、知識の知、治めるの治、という意味です。

は積もる、憑く、造る、付く、点く、という意味です。

一二三神示 五十黙示録 第三巻 第四帖

国常立大神の此の世の肉体の陰が日本列島であるぞ

は組む、具現化の具という働きがあります。

国はこのクに由来しており、◉の国と、それに酷似した人の国、陽と陰 二つの国が在ります。

数霊では、国土は九十コトと表せ「事」と読み、国は九二と表せ「酷似」であり「組肉」と読み解けます。

ニは二次的、二義的という意味で、「一を以って」成るコトです。

陽である◉の国を元に成り立ったのが、陰である人の指すところの国になります。

ツとクの母音であるは、物質的具現化欲求の働きをする動詞的言霊です。

ス(生命の息吹)の始まりがであり、これを渦と云い、渦の始まりを渦気うずキと云います。

一二三神示 岩戸の巻 第二帖

気をつけてくれよ、氣が元ざぞ、木から生まれるのざぞ

心配れと申してあろが、心の元は起ざぞ、全ての元は喜であるぞ、キは◉ざぞ、臣民にはそれぞれのキ植え付けてあるのざぞ

嬉し気は嬉しき 産むぞ、悲しキは悲し気 産むぞ、喜べば喜ぶコトあると申してあろがな

天災でも人災でも、臣民の心の中に動くキのままになるのざぞ、この道理分かるであろうがな。

爆弾でも当たると思えば当たるのざぞ、恐れると恐ろしいコトになるのざぞ、モノ物:者はキから生まれるのぞ、キが元ぞ、くどう気着けておくぞ。』

上記の通り、は気、木、基本の基、起こるの起、喜びの喜、などの意味があります。

天地日月の言霊

吾の目が地に移り付き知となり

(愛の恵による心芽新芽の誕生)(これに因って)

日が生まれ付き:点き照らされ

(心芽に日が灯り移り分かれ)

闇の中の存在が実像として現れる

(世のモノコトが結ばれ一つの明る実となる)

天地日月の言霊解釈

ここで表されているとは、何も地上の大地だけを指しているのではなく、吾の目が(に)映る(移る)対象 全てを指しています。

アは五十音の始まり、即ち「天」でもあるので、地は天から見た地球でもあります。

この場合の天は、宇宙でもあり、目には見えない世ことごとく言事組の中心点でもあります。

は恵であり、愛であり、芽でもあり、吾の愛が移るという恵に因って、そこに心芽新芽が生まれることを表します。

とは、普段 自分自身が自分自身を認識しているワレの前の状態、即ち、る前の自分という識別が生まれる以前の「」です。

は、主体的な感覚感情蓄積変化意思 を指し、この行を生命の樹と云います。

行とは五十音図の並びでもあり、人の行でもあります。

こののシマ(州)を「おのころ島」と云います。

一二三神示 岩戸の巻 第十三帖

『この道の役員、ワレは苦労して人 助けるのざぞ

その心でないと 出してワレのこと思うているとグレンざぞ。』

とは客体、即ち見られている側のことで、自分自身というモノを認識した後のことであり、アと分かれ繋がっている「」という存在です。

和は、客体的な感覚感情蓄積変化意思 を指し、この行を智恵の樹と云います。

例えば、空を見上げた時、それを空と認識している状態はアとヤとワに別れた状態となります。(*1)

この三輪の状態が世の全きの元となります。

自分が空に呑み込まれたのか、自分が空になったのか、からない状態、言わば空と一体同化した様な状態が別れる前の「」のみの状態です。

は主体、即ち見る側のことで、未だ自分自身を識別する前の状態で、これをとみなすことも出来ます。(*2)

アのメがに着いたことで「知」となり、頭の中で認識されます。

天地によって日月が灯り物事が明らかとなる

アメツチに因って、対象が頭の中で認知されたことで、その対象に点き照らされます。

“その対象”とは、それまで闇であったモノという陰的存在、という意味です。

日月に照らされるまで、その対象は(吾にとって)存在していないに等しい単なるモノとなります。

ヒツキ日月によって照らされた対象は、モノと(陰と陽)の結び付きに因って、ここで初めて実像として姿を現すこととなります。

この世は天地と日月の産霊で成り立つ

これまで説明してきた通り、ヒ(日)だけでは物事は成り立ちません。

月という付く、点く、コトで初めてそこに結びが生まれ、これを産霊むすひ(結ぶ日)と云います。

産霊は単に「結び繋がり」というだけでなく、読んで字の如く「天から地」「日から月」というみことの誕生という働きもあります。

ここで注意したいのは、世の中にはありとあらゆるモノが闇の中には既に高次元の波として存在していて、吾が「どんな意思」で「何を照らす」かで映る世界が変わる(現れる象の変化)ということです。

一二三神示「世は心のままに映るのぞ」

天地日月(アメツチヒツク)との違い

これらアメツチヒツキ(天地日月)の一連の流れは、一瞬でもあり、壮大な宇宙空間の無限時間の流れでもあり、この世の真理を顕す原理です。

それはミクロの世界でもあり、マクロの世界でもあります。

天地日月をアメツチヒツクと読んだ場合は、「ク」の母音がウであるように、そこに動的欲求が付与され、「組む」と解釈出来ます。

天地日月の大神様を声に出して読む時、「アメツチヒツク」の方は、より実地的な働きをなす言霊といえます。

「アメツチヒツキ」の方は、キは基であり、天地に日が点くことの喜びを現す言霊と言えます。

*1 アとヤとワ 造化三神

ア行…天御中主神

ヤ行…高皇産霊神たかみむすひ

ワ行…神皇産霊神かみむすひ

ヤとは、全体を客観視できる高い山の意味があります。

また、漢字で闇と表すように、そこに疑問を持たせる役割も持ち合わせています。

言霊「ヤ」は、『暗くてよく見えないから、見晴らしの良い高山へ登って全体を見渡そう』といった様な御働きがあります。

一二三神示 第六巻 日ノ巻 第七帖

『継き 高皇産霊 神皇産霊命と鳴り給いき

この三柱造化三神 に成りまして 澄みきり給いき

アとヤはしばしば同一視されます。

ア行は天御中主神の特性上、認知に至る前の五感性の働きを司る言霊ですから、数には数えず、ヤをアと見なし、高皇産霊神を実質的・・・な祖とします。

祖とは素であり、一神から多神へ、一心から多心へ、一身から多身へ、というような一二三の働きである息吹の素であることを指します。

*2 一二三神示 第六巻 第二十五帖

始め霊:0の国産み給いき

日:一の国産み給いき 継:二の国産み給いき

継きに くに:三 産み給いき

◉に厄介かけぬようにせねばならんぞ。

◉が助けるからと申して臣民 懐手ふところてしていては成らんぞ、力の限り尽くさねば成らんぞ。

霊:0 と 日:一 とは違うのざぞ

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