『すみません』という謝罪の言霊

謝罪ねこ
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「すみません」と「すいません」の違いと俗的解釈

謝罪する時に使う「すみません」や「すいません」にはどういう意味があるか深く考えたことはありますか?

先ず、一般的な解釈から始めたいと思います。

一般的には「すみません」も「すいません」も同義と捉えられています。

「済む」という言葉を「ません」で打ち消したものと考えられています。

言い換えれば「済まないことをした」と表せ、その反省を表現しています。

同義ではありますが、正確には「すみません」が本来の正しい言葉使いになります。

「すいません」は口語であり、訛りからきて広まったものです。

なので、より形式的な場面においては「すみません」と言うのが適切な謝罪となります。

「すみません」と「すいません」の言霊解釈

ここまで一般的な「すみません」と「すいません」のおおよその解釈を説明してきました。

しかし、これらを言霊で見た場合、どういう解釈になるのでしょうか?

まず、「ません」を否定形とは見なしません。

言霊には基本的に否定は無いのです。

ンの意味

「ません」はマセとンに分けられます。

ンは響きの無い音として特別な意味合いがあります。

響きの無い音というのは、地に落ちた音というコトだと表せます。

宙から「地に落ちた」のであって、宙とは地の逆さまである天と見なすことができます。

「天から地に落ちる」とは、言い換えれば、「見えない世界から目に見えるこの世に具現化して現れる」と表現できます。

つまり、「〜が現われる」という働きをなす言霊が「ン」になります。

例えば、仏教の真言の始まりに「おん〜」と使われています。

また、「御〜」という表現もその通りです。

マセの意味

まず、セは流れを意味しています。

流れと言っても、自然な流れというよりは急流です。

例えば「急ける」などと表現したりします。

そして、天から地、日から月という流れの向きも表します。

例えば「為せ」などと表現したりします。

逆に、地から天、月から日という流れの向きの場合、上の例でいうと「せな」と表現されます。

「〜せなならん」と言ったりします。

マとは、まことの真・交わりの交・益すの益・増すの増などの意味合いがあります。

もちろん他にもありますが、ここでは上記の概念で十分です。

纏めると、「益々」や「増々」という働きをなす言霊が「マセ」になります。

例えば「弥栄ましませ」という表現に使われます。

スミの意味

スは、素材や素朴の素、澄むの澄、全てという意味の総(統)、天下(地)を治めるの皇。

ミは、果実や現実の実、体の身、道、視るの見、みのりの穂。

スミは、済みですが、済みとは罪・穢れが無くなり澄みた状態を表します。

つまり、スミとは澄みであり、清みというコトです。

これらを踏まえて、目に映るこの世全ての実を澄み清める働きをなす言霊が「スミ」になります。

水『ミス』も同様に実(身)を澄ます言となります

スが先に来る場合「治らす(統治)」力が主で、ミが先に来る場合「澄ます」力が主となります。

清音が響くのが言霊ですから、水はミズと濁るのではなく、ミスと発音(読み解く)するのが適切です。

濁音や半濁音は響きが悪い=言霊の働きが弱い。

スイの意味

スは上記の通りです。

イは、意思や意識の意、威力の威、移動の移、などの意味があります。

纏めると、澄んだ意の広がりをなす働きが「スイ」の言霊になります。

この意は自身の意識や意思でもありますし、目に映らない世界全ても含まれています。

睡魔とはこのコトです。(スイの間、末)

纏め

それぞれの言霊の働きが出揃ったところで、纏めて見てみましょう。

「ん」は特別な無音で現実化する働きを司ります。

よって、現実化すべく内容が「すみませ」「すいませ」になります。

繰り返しになりますが、「ん」は響かない無音ですから、皆さんが日頃謝罪している時には「すみませ、すみませ」とこの世に響かせていることになります。

このことを頭に入れて↓

「すみません」

実が益々と澄み渡るよう治める事が現実化する

「すいません」

意が益々と澄み渡るよう治める事が現実化する

となります。

ただ、「ミ」はイと共に現れる言霊ですので、上の「すいません」の働きも含まれています。

ミの母音はイになります。

言霊では基本となるアイウエオ五音の母音を意識します。

「すみません」を積極的に使う

以上のことから、日常会話で使うときはやはり「すみません」が正しいといえます。

ここまで見てきて分かる通り、スミマセン五音の言霊の並びは祝詞になっています。

人は謝る時というのは、そこに罪・穢れが生まれている時です。

それらを祓う働きを担うのが、この五音の言霊になります。

日本人は外国人などに「すぐに謝り過ぎ」とよく言われます。

しかし、この五音は祓え詞となっていますから、外国人の言うところの(平面的な)人間関係上のコミュニケーションとは訳が違います。

謝る言で、世の物事(陰陽)の穢れを祓っているのですから、いくら他人から下に見られようとも自らどんどん謝って心身を清めていくべきでしょう。

実際、「すみません」や「すいません」は謝る時に限って使われている訳ではありませんよね。

何か人に物を頼む時や、人と接する時のきっかけとしても使われたりしています。

以上のことを信じるか信じないかは人それぞれですが、少なくとも、こういう考えができれば人生はより良いものに変わっていくのではないかと私は思います。

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