火之迦具土神の別名と読み方『言霊学』

炎と共に顕れる文字
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神名

ヒノヤギハヤヲ=ヒノカグツチ

火之迦具土とは、ヒノカグヅチという表音文字に漢字(感じ)を当てた表記です。

別の漢字では加具土命や火産霊神と表されます。

神名とは音の順序並びに因る能(はたらき)ですから、それぞれの音の持つ意味を確認することで全体像が見えてきます。

その場合、清音であるヒノカクツチとするのが正しく解釈するコツです。

各音の役割

ヒとは、日であり火です。

日は純粋な気であり、それに因って具象化したものが火となります。

ノは能であり、野とも表せます。

ノの母音はオであり、オは過去を司る言霊です。

よって、「〜の」という表現は〜(過去)に起因してという意味になります。

カは加える、香り、火。

クは組む、または具象・具現・具体の具でもあります。

また、カクと捉えると書くと表せます。

ツは付く、突く。

チは地です。

ツチと読めば、土であり、槌でもあります。

総括「ヒノカクツチの御働き」

それぞれの音の役割の意味がハッキリしたことで、解り易く別の漢字を当てはめて表記すると、

日の書く土(ヒノカクツチ)となります。

または、日能火具槌火野香群着地、と表せます。

これはこの世に始めて文字が実相として顕われた働きの流れ(言霊順)を示します。

また、実相としてこの地に顕れる現象自体も指しています。

(日に因る)火に因ってこの地に顕れた実相

この「日」は、太陽とも気持ちのキ(心)とも捉えられます。

この「火」は、宇宙の爆発とも大火とも炎とも捉えられます。

この「地」は、宇宙の星々とも地球とも大地とも捉えられます。

また、「地」自体が実態を表す言であり、チは目で見て実際に確認することができる智でもあります。

香とは、化+オ(過去)+リ で成り立っています。

カオとは、元在から具象として顕れることで、漢字では「顔」とも表せます。

リは、理解の理、裏(気が表)、離、といった能(はたらき)があります。

火産霊の産霊はムスヒと読みます。

ムスヒは結びであり、産霊の字の如く、新たな霊を生んで結ばれている事を表しています。

例:大宇宙産霊小宇宙

地に顕れた始めの文字は「ん」

その始めの文字は「ん」であったと想像されます。

伊邪那岐神と伊邪那美神は、母音アイウエオと半母音ワヰウヱヲと八父韻イキシチニヒミリを除く子音三十二音を産みました。

これでアイウエオ五十音図は完成しているのですが、実相を得る為に、三十三番目の子音神を産み出します。

それが「ん」の音であるヒノカクツチノカミです。

伊邪那美神は、産めないはずの「ん」=”日ノ書ク土”を産んだことで火陰(日影)を負い(追い)お隠れになります。

このことで、二神の神産みの終わり⇨実相の顕れの始まりを告げます。

「ん」の意味

これまで説明してきた通り、「ん」を以て二神による神産みは終わります。

神は陽の世界で在り、霊の世界に在ります。

その陽の世界から私たちが目で見ることができる陰の世界への移動(意動)の能(はたらき)を担うのが言霊「ん」の神です

この意動(意道)には時(十気)の流れも含まれます。

「ん」の説明は、仏教の真言などの始めによくつけられる「オン」を挙げると分かり易いかと思います。

これはンの前にオが付随した言ですが、オ(過去)が「ん」する(降りる、土着する、顕れる)事を働かせる言霊順で、過去から来る経験や知識を顕す(活かす、働かせる)意味を持ちます。

オは漢字で降と書き表します。

何処から降りるのかというと、それは過去からです。

アメツチは時の流れ「天は地の過去(原因)である」でもあるので、天から降りるという表現も間違いではありません。

その過去の内容というのが「オン〜」のように後へ続きます。

超訳すれば「〜(過去)よ、降りてきて力を与え(現し)給へ」という解釈ができます。

真言例

弥勒菩薩 オン マイタレイヤ ソワカ

観世音菩薩 オン アロリキヤ ソワカ

千手観音 オン バサラ タラマ キリク

日光菩薩 オン ロボジュタ ハラバヤ ソワカ

月光菩薩 オン センダラ ハラバヤ ソワカ

伊邪那岐・伊邪那美神にまつわる「ん」

「ん」とは具現化の象徴であるため、陰言である疑(ギ)の意味も顕れます。

気(キ)の濁りが疑(ギ)です。

濁音とは読んで字の如く濁った音です。

天地開闢の通り、清浄なは軽く上に昇り天となり、重く濁ったは下に沈み固まり地となった。

キ⇨ギの変化は、陽から陽陰への変化で、一つの主体が主体と客体の二つに分かれる変化とも同じく言い表せます。

これまで伊邪那岐神と伊邪那美神が一心同体で産んできた神産みは「ん」を以て、伊邪那美神が黄泉の国へ行くことで終わります。

元々、主体ア行のイ(意)を以て(愛を持って)共に神々を産んでこれたのですが、ここにギが生じたのです。

すると、ア行(吾)のイ(意)からワ行(我)のヰ(意)へとヰサナミ神が移ります。

これを愛(ア行のイ)の別れといい、ヰサナミ神は客体である我の世界(黄泉の国)へ行かれたのです。

ア行のアを天(アメツチのア)と云います。

この黄泉の国を地獄(地国)と見る人もいるでしょう。

主体:見る側「イサナ」ア(吾)の世界

客体:映る側「ヰサナ」ワ(我)の世界

元々は↓

主体:見る側「キミノ」ア(吾)の世界

天意(愛)に答えるのが我々の使命

火之迦具土神にまつわる伊邪那岐神と伊邪那美神の別れを、単に男女の別れとだけ捉えていたのでは深くありません。

人間で例えるなら、男女という捉え方と、一人の人の中の「吾と我」という捉え方があります。

火之迦具土神産みからのキミの二神の別れが無ければ、現実界であるこの世は誕生して(実像として現れて)いなかったでしょう。

同時に、キミの二神が涙して愛(ア行のイ)の別れをすることによって、人間世界では吾と我の自分、男女という自分が生まれています。

伊邪那美神は黄泉の国(我の世界)へ行ったので、正確には伊邪那岐神だけが涙しました。

これらはひとえに一二三の過程であり、元は一つの命(ミコト)なので何れ戻る時が来ます。

その時とは、今世の男女の出会いであり、己の改心となります。

キミの二神が涙を呑んで別れること(岩戸閉め)で、宇宙を拡大したのですから、その恩恵を受けた私達はしっかりと繁栄(弥栄)し、アとワ、キとミを一つのミコト(命)に戻すことで、二命の間に塞がれた黄泉平坂の扉を開ける(岩戸開け)使命を託されているのではないでしょうか。

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