物事「モノとコト」陰陽二つの時間軸
物事のモノとは
物事について考えてみましょう。
最近ビジネスの場では「モノ消費→コト消費→トキ消費」なる言葉が注目されていますが、このモノ・コト・トキとは何でしょうか?
モノ・コトに続く潮流「トキ消費」はどうなっていくのか/夏山明美
モノとは意識外の物質的存在を指す言葉であり、つまりは意識外の世界を顕す(呼び出す)言葉となります。
別の漢字で表すと「藻(喪)野」という様に陰性を帯びた言葉です。
「物」に生命は無く、自分の意識も無く、ただ物質として存在しています。
「者」も同じくです。
者とは自分以外を指す場合もあれば、自分を指す場合にも使われています。
自分を指す場合、意識外ではなく意識内になるのではないか?と思われるかもしれません。
しかし、これは自身をキミ(気と身)に別け、物質としての身に対して使っていることになります。
物も者も共通するのは意識外の物質として捉えられていることです。
モノという表現の多用には、意識外の世界を広げる、自分の意識世界を狭める、心と体を分け隔てる、自分とその他を分け隔てるという言霊効果があることに注意しておく必要があります。
「物事が分かる」の意味
一般的には陰陽が明らかとなる、理解される、と解釈されますが、もう一つの言霊の働きがあります。
分かるとは別れることであり、別れによって判ります。これが世のコトわりというものです。
一二三神示に、『ケモノと神(コト)とが別れる』とあるように、物事が分かるとは、即ち「モノコトが別る」という祝詞になっています。
獣(けもの)のことを「モノの気」と云い、意識外の気の顕れを示しています。
モノ、即ち獣の世界は陰世界であり、現代人の中にはこの獣を飼っている人も、自ら獣化している人も沢山いるようです。
学や知恵に囚われた人のことをモノ(物)知りと言います。
物知りとは◯の世界が広がった、または覆われた陰的象(かたち)であり、本質である・(心:神:光)から離れた相(すがた)の顕れ(影)と言えます。
コト(陽)モノ(陰)二つの時の流れ
時間は過去から未来へと流れていくと常識的には考えられます。
これは過去の積み重ねに因り未来が出来上がっていくという明治以降に入って来た欧米思想に基づいています。
この過去から未来へという時の流れは、モノの流れであり、モノは陰世界の時間軸で動いています。
もう一つは未来から過去へという時の流れであり、これはコトの流れであり、コトは陽世界の時間軸で動いています。
コトとは事象であり、言葉です。
言が陽であり、その現れが事という陰であり、表裏一体となります。
又、数霊では九十と表され、天地(縦の結び)と日月(横の結び)が組まれる(九)ていることを表します。
縦がアからチ(霊的)、横がヒからツ(実的)な流れを意味します。
物事(コトとモノ)の時の流れの違い
モノの時の流れ
電車は、整備士の車体点検や線路の整備、運転手の真面目な仕事により、以前の駅から繋げられた線路を伝い、この目的駅に到着できます。
『過去』駅から『今』駅に
そして、到着したこの駅で人の乗り降りを無事に済ませることで、次の目的駅へ出発することが出来ます。
『今』駅から『未来』駅へ
言(事)の時の流れ
電車は未だ来ていないので、これから訪れる未来になります。
『今』というホームに『未来』がやって来る
人の乗り降りが完了し、電車は動き出し次の目的駅へと去って行きます。
『今』というホームから『過去』へ去って行く
物事『コトの世界とモノの世界』
コト、即ち「言」「事」の世界とは、意識の在る世界。
モノ、即ち「者」「物」の世界とは、意識の無い世界。
又、コトとは事象そのものを表します。
コトの世界は、時が未来から過去へと流れる霊(たま)の陽世界です。
モノの世界は、時が過去から未来へと流れる物(もの)の陰世界です。
陽神である伊邪那岐(気)命は、天御柱を左(日たり)回り『反時計回り』
陰神である伊邪那美(身)命は、天御柱を右(実きり)回り『時計回り』
時計回りは、時間が過去から未来へ進む時の流れ、即ちモノの世界を表しています。
反時計回りは、時間が未来から過去へ進む時の流れ、即ちコトの世界を表しています。
物事「一二三神示の例文解釈」
第六巻 日月の巻 第一帖
『この世に自分のモノというモノは一つも無いのであるぞ。』
・自分の物(者)は一つもない、即ち全てが神様のモノ(影)であるということ。
・モノとは意識外であるため、「自分の意識外」という物質は一つもない、即ち全てが自分自身であるということ。
第六巻 日月の巻 第二十九帖
『◉のこと言うより尊(みこと)ないぞ、モノ言うなよ、ミコト言うのざぞ、ミコト◉ぞ、道ぞ、アぞ、世 変わるのぞ。』
・無意識世界の「モノ」を口にすべきでないこと
・「モノ」という二言自体を言うべきでないこと
モノとは、それ自体が ○ を表す言葉となります。
自身が ・ となるならば、○ の考えは改めなければいけません。
無意識下のモノとは、例えば(無意識下の)食べ物や(無意識下の)独り言などが挙げられます。
「モノ」の二言とは、会話などに容易に陰的な「モノ」を入れるべきでないことです。
陰でなく、実のある言⇨穂(みのる)言⇨味言を意う(生)事です。
まとめ
人間はコトの世界(陽)とモノの世界(陰)に分けられ、それぞれ時間の流れる向きが逆であり、複雑に絡み合って成り立っているこの世に生命しています。
未来⇨今⇨過去という時の流れに対しては、未来に対して「こう生きたい」という意志が強く働きます。
この意志の現れにより、行動が変わり(状態変化)、より良い道を進む(過去の改善)ことに繋がります。
この未来に原因があるとするコトの世界を見出すことが今後の在り方だと言えます。
これが素盞嗚命のスサノオ(過去)とスサナル(未来)という読みの違いにも繋がります。
逆に、明治以降の西洋文化の流入の中で、積み重ねていくことが未来を創るという発想は、過去に原因を求めたモノの世界に生きることになります。
これは、因果関係を過去に求めたことで、未来に対する意志の御働きが弱まり、過去ばかり、後ろばかり、下ばかり、つまり陰(かげ)を追った生き方となります。
過去に原因を求めると理屈に嵌ります、理屈は悪魔と神示にある通りです。
一二三神示『未来に燃えるコトが現在に生きるコトであるぞ』
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