ひふみ神示と日月神示と一二三神示の違い

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そもそも日月神示とは?

昭和十九年五六月に画家であり神典研究家でもあった岡本天明氏が、千葉県にある天日津久神社にて数字と記号だらけの羅列を自動書紀した大量の文のことを云います。

この世の真理と神意とその流れが記されており、人類や個人、世界や宇宙、その未来や対応方法などが説かれています。

現在、世に発表されているのは39巻ですが、降ろされた神示は全部で50巻在るとされていて、岡本天明自身も残りの11巻を発表してよいものか判らないまま亡くなられています。

神示が降ろされた経緯

終戦の前年である昭和19年(1944年)4月、東京原宿に日本の古代史を研究する為に修史協翼会というものが発足します。

同年4月18日に行われた同会合において、歴史の真偽を神霊に伺おうと、降霊術による占いである「フキの義」を天明を含む三人で行いました。

この時、示されたのが「天ひつく」という文字でした。

しかし、霊の正体は分からず、天明自身も四つ足霊の仕業だと思い気に留めていませんでした。

後日、修史協翼会のメンバーから千葉県の麻賀多神社境内に天之日津久神社が在るという報告を受け、同年6月10日に同神社を訪れます。

そこで参拝を済ませたあと休憩していたところ、突然、天明の右腕に焼け刺すような痛みが走り、直感的に自動書紀と思い、持ち歩いていた筆と画仙紙を手に取ると、日月神示第一巻の第一帖が書かれ始めたとされます。

フキ(扶箕)の義

丁字状の枝の基部を龍首の形に造り、首の底に木筆を取り付けた乩筆という筆記具で、砂を平らに盛った沙盤に文字を書きます。

乩筆は鸞手と呼ばれる術士一人〜二人によって保持されます。

鸞手には正副があり、助手にあたる鸞手は砂を適宣均して文字を見易くする役目も果たします。

霊符を燃やすなどの供犠を行い文字が書かれ始めると、唱鸞と呼ばれる宣者が託宣を読み上げ、録鸞と呼ばれる記録者が記録します。

初めは天明自身も原文を捨ててしまうほど信用していなかった神示

岡本三典(天明の妻)によると、天明は神示が降ろされてからも、しばらくの間はそれを全くと言っていいほど読むことも出来ずに内容も判らなかった為、下級霊の仕業に依るものだと思っていたそうです。

そのため、書紀された原文も放って置いたり、中には捨ててしまったものさえあったそうです。

神示の重要性を最初に天明に知らせたのは、大本教時代からの知り合いで在る矢野新だったと云われています。

この矢野新は優れた霊能者であり、天明から原文を見せられた時に即座にその重要性を直感、認識し「これは正真正銘の太神様の御直筆ですよ」と顔色を変えて答えたそうです。

その後、矢野が呼びかけ複数の霊能者や神典研究家が集まり神示の解読を目的とした研究会が誕生し、神示は少しづつ解読されていきます。

神示が降ろされる様子と天明自身が清書した神示の行方

矢野以外で早い時期(岡本三典の著書によると矢野が原文を見せられる前)に神示の重要性に気づいたもう一人が、天明と同じく鳩森八幡神社で留守神主を務めていた法元辰二でした。

岡本三典は、神示が散逸せずに無事残ったのも法元のお陰であると自著で記しています。

法元は自動書紀で神示が降ろされる場面を目の当たりにしています。

その姿や雰囲気、筆が動く猛烈な速さ、文字が顕れる時の地鳴りとも言える激しい振動。

かくして、天明自身も神示の重要性に気づき、書紀されたものを清書したりしていましたが、清書した神示の幾つかは、神前に供えていたところ、霊化して消えて無くなってしまったと云います。

原文だけを残して。

日月神示とひふみ(一二三)神示の違い

漢字と平仮名と漢数字での違いはあります。

日月は陽と陰の結び、ひふみは神名(言霊)、一二三は数霊で表されます。

ひふみと一二三は表裏一体として、日月神示とそれらの表記の区別は、神示に以下のように記されています。↓

第四巻 天ツ巻 第三十帖 抜粋

神示は印刷する事ならんぞ、この神示解いて、臣民の文字で臣民に読めるようにしたものは一二三(ヒフミ)と申せよ

一二三は印刷してよいのざぞ。

印刷結構ぞ。

この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員この神示見て、その時により、その国によりて、それぞれに説いて聞かせよ。

原文は記号や漢数字の羅列であり、普通には読めたものではありません。

その原文を解読し、現代人でも分かり易い言葉で書き換えた(翻訳した)ものが「ひふみ神示」というわけです。

ひふみと一二三の表記の違いは上述した通り、言霊か数霊の違いであり、それは表裏一体であるため、どちらも同じです。

原文一例

二二八八れ十二ほん八れ ◉の九二のま九十の◉のちからをあら八す四十七れる

読み解し文

富士は晴れたり日本晴れ ◉の国の真の◉の力を顕す世となれる

日月神示=原典なのか?

では、そもそも翻訳する前の神示を日月神示と表すのが正解かどうかは定かではありません。

神示には上記「天ツ巻」の抜粋文以外に、この書をフデ(神示)としか表現していません。

日月の由来は、神示の発端となる「天のひつく」に由るものでしょう。

神示の内容からしても、「ひつく」を日月と捉えることに否定はありません。

ただ、もっと広い解釈があるとも言えます。

更に言えば日月と読んでしまうと、それは平面的な捉え方とも見れます。

平面的とは横の繋がりであり、立体的ではありません。

天地という縦の結びと日月という横の結びがあって、初めて十、立体と捉えられます。

数霊と記号の羅列で記された神示の原典を、あえて表現するなら「天ひつく神示」、または「大神実神示」が相応しいのではないかとも私は思います。

「天の日月」▽ から 地の日月▲ への神示と捉えれば、「天ひつく神示」という名称は納得のいくものですね。

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