ひふみ祝詞【完全解説】

ひふみ祝詞(言霊) 天地日月
目次

ひふみ祝詞とは?

ひふみ祝詞は、天・地・人に纏わる

・神意と神理・真意と真理・誠意と誠理

を47音で表した究極の祝詞です。

別名を『天地あめつちふと祝詞こと』と云います。

(天地祝詞と天津祝詞は天地不二のことから同義となります。)

大祓詞にある「天津祝詞の太祝詞事宣れ」の太祝詞に当たるのが、今回紹介している「ひふみ祝詞」となります。

以下文言⤵︎

ひふみ よいむなや こともちろらね

しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか

うおえ にさりへて のますあせゑほ

れ   け

一二三神示 第九巻 キの巻 第十一帖

一二三とは限りなき世の理の弥栄であるぞ

ヒ は始めなき始めであるぞ

ケ は終わりなき終わりであるぞ

言葉の働きが一二三であるぞ

始めなく終わりなく弥栄の中今なかいま

一二三はの息吹であるぞ 一二三唱えよ

◉人共に一二三唱えて岩戸開けるのざぞ

一二三に融けよ 一二三と息せよ

一二三着よ 一二三せよ

始め一二三あり 一二三は◉ぞ

一二三は道ぞ 一二三は祓い清めぞ

祓い清めとは弥栄ぞ ◉の息ぞ

天子様の息ぞ 臣民の息ぞ

獣 草木の息ぞ

ヒ(一)であるぞ

フ(二)であるぞ

ミ(三)であるぞ

ケ であるぞ レ であるぞ ホ であるぞ

龍態渦気であるぞ 大渦であるぞ

皆の者に一二三唱えさせよ

五柱 御働きぞ 八柱 御働きぞ

五十蓮いつらぞ 意露波いろはぞ 分かりたか

三月十四日 ヒツ九ノカ三

解説

…「懸」 掲げ示すこと。託す、預けること。未完。

…「蓮」「玲」 連なり実を結ぶこと。玉の様に透き通る美しく清らかな心。調和の音響。

…「穂」 天からの恵み。慈しみ恩を施された賜物。優しく丸く包み込むこと。

龍態…生命の始まり、種。星屑の集まり(銀河の始まり)。

…龍態が回転し動き出し集まって、新しい一つの生命(物事)が組まれる力の働き。

いつら…アイウエオ五十音、物事の連なり。気持ち良く楽しいことを共有し、喜び味わうこと。

…「等」 一つに留まらず、その他にも同類があること。親愛の意。その状態を表す意。

いろは…意から漏れる波動。あらゆる物事の初歩や基本、成り立ちの原理(いろは歌)

古代文字に示されたひふみ祝詞

阿比留草文字

伊勢神宮に奉納された神代文字奉納文の中で最も多く用いられている文字。

各地の神社にて神璽や守符に用いられる。

濁音、半濁音は無く、「ん」を表す文字も無い。

天名地鎮文字

江戸時代後期の国学者 鶴峯戊申 は「この文字こそ世界中のあらゆる文字の起源である」と主張した。

弟子の東戸策は「此事はやがて日本が世界の祖国であり、日本の天皇が世界に君臨したまふ事が神代からの約束であることを意味する」と主張した。

斎部文字

斎部(忌部)家、橘家にのみ代々極秘裏に伝わった文字。

忌部氏の祖 天太玉命 が造った文字とされる。

カタカムナ文字

楢崎皐月が六甲山金鳥山で平十字と名乗るカタカムナ神社の宮司から御神体である巻物に書かれたこの文字の写記を許され、長年の解読の末、世に公表され明るみとなった。

楢崎曰く「声音記号を組み合わせた図象記号は、四重の意味を表す。」

「言葉や語の意味を表明する文字記号であると共に、物理的意味を説明する図象記号である。」

「また、数学的に変換される意味を示し、抽象物で示した抽象の意味を説明する記号でもある。」

物部文字

唐松神社(天日宮 アマツヒノミヤ)に伝わる祝詞の表記に用いられた文字。

名称からして物部氏由来の神代文字だと推測される。

ひふみ祝詞の唱え方

一二三神示 下つ巻 第七帖

一二三祝詞する時は、神の息に合して宣れよ。

神の息に合わすのは、三五七、三五七にきって宣れよ。

終いだけ節長く読めよ。

それを三度読みて宣り上げよ。

息継ぎは神の息(三・五・七)に合わせて行います。

柏手を合わすのもよく、その場合、三・五・七に区切る言の間も打ち鳴らし続けます。

母音を意識し、高く澄んだ言霊で発声します。

腹の底(へその緒を意識)を意識して発声します。

もし息継ぎが神の息に合わない場合、宣り方が適切ではないと思われます。

音の長さ、高さ、強さ、声量、吐く息、間などを調整しましょう。

ひふみ祝詞は唱えるだけでは意味が無い

一二三神示 地つ巻 第八帖

神主、お祓い祝詞上げても何にもならんぞ、お祓祝詞は宣るのぞ、今の神主宣ってないぞ、口先ばかりぞ、祝詞も抜けているぞ。

祝詞は読むものではないぞ、神前で読めばそれで良いと思うているが、それだけでは何にもならんぞ。

宣るのざぞ、祈るのざぞ、成りきるのざぞ、融けきるのざぞ。

神主ばかりでないぞ、皆 心得ておけよ、神のことは神主に、仏は坊主にと申していること根本の大間違いぞ。

三位一体

上述した一二三神示の記述にあるように

・宣る(宣誓、宣言)意宣る⇨言霊

・祈る(意識を結ぶ)意成る⇨心得

・なりきる(意を働かせる)意能る⇨実行

この三つが揃ってはじめて「まことに宣る」となります。

この前に・(心)があることを忘れてはいけません。

まこととは、心・言・行の三つが揃った状態です。

冒頭で触れた大祓詞の中にある「天津祝詞の太祝詞事を宣れ」に注目すると、「言」でなく「事」を宣れとあります。

このことが示すように、祝詞はただ読むだけでなく、実際に心を以て行づること、神様の御旨に添って自分自身が成りきることが大切になります。

そして、最後に融けきるとは、上記三点を行じている自覚識別が無い状態、一つとなっている自然態を意味します。

言霊

言には霊が宿ります。

霊とは言い換えれば気であり心です。

気(霊)という抽象が原因として先ず在り、それと共に言という具象が現われます。

これをキミ(気実)といい、伊邪那岐・伊邪那美の命と云います。

キミは不二、つまり表裏一体です。

同じ「はい」でも、肯定と否定を感じ取れるはずです、その違いが気であり、気の違いが音の微妙な響きの違いとなって現われます。

特に言霊を成すときは母音を意識しながら発声するとよいと思います。

ひィふゥみィよォいむゥなァやァこォとォ

心得

心得とは意識を結ぶことです。

何と結ぶのか?

それは宣った言葉(詞)です。

言葉(波)の本来の力は意と結ぶことではじめて発揮されます。(言霊)

ただ、音として発声しているだけでは役に立ちません。

では、ひふみ祝詞47音の意味をどう心得るのでしょうか?

日本語一音一音が神名(カナ)であり、一音で八百萬の働きを表していますから、これをそのまま素直に理解しようとしても難しいものです。

では、無理なのか?

神様は無理は申しません。

何故なら、神とは理(ことわり)だからです。

そこに理が無ければ、神は無いものと同じです。

では、ひふみ祝詞の心得とは?

それこそが一二三神示です。

一二三神示全巻に記された言(事)こそが、ひふみ祝詞の心得を表しているのです。

実行

姿象(すがたかたち)の有る現象界である此の世では、実際に行を為さねば何事も成りません。

人は神の入れ物であり、神意を以て行を為すことがこの世の道であり、人の使命です。

言霊はその始めの気っかけであり、清い言霊に自分の意識を繋ぐことで、正しい道を歩む原動力とします。

この言霊⇨心得⇨実行という三つの流れで一つの物事が成される仕組みです。

苦瀬を救う大神実命

一二三神示は天ヒツクの神名により降ろされました。

此の神名の別名を大穂神実おほかむつみの神』といいます。

天ヒツクノ神(陽)の具象化した神様が大神実命(陰)となります。

一二三神示は時と場合により大神実神示とも言い換えられるでしょう。

三千世界を目の前に、人々は今までに無い窮地にあります。

大神実神様は伊邪那岐大神に仰せ仕った通り、人々の憂き瀬に顕れ、救おうとされているのでしょう。

神話

黄泉の国で、伊邪那岐命が伊邪那美命から逃れる際に、黄泉平坂に生えていたの実を三つ取って投げると、雷神や黄泉の軍勢は撤退していきました。

この功績により、桃の実は伊邪那岐命より『意富加牟豆美おほかむつみ命』の神名を授けられます。

伊邪那岐命「汝、我を助けしが如く、葦原中津国に在ら有る美しき青人草の苦しき瀬に落ちて憂へ悩む時、これを助くべし。」

訳⇨お前が私を助けてくれた様に、地上世界のあらゆる生在る人々が苦しみ悩み悲しむ事があった時は、これを助けてやってくれ。

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