「三千世界」「ミロクの世」の意味
三千世界 日(第一文明)
仮に、人皇の世に成る以前の世界を第一文明とします。
神武天皇即位(皇紀2662年前)以前の世界です。
第一文明はヒの世界、言霊幸はふ精神で繋がる文明です。
第一文明に物質科学が全くなかったわけではないですが、現在と比較すればまだまだ未開だったと言えるでしょう。
しかしながら、四つの精神世界(アイエオ)に対して一つの物質的欲求世界(ウ)という完全調和の世でした。『◉』
文明とは二(フ)と三(ミ)で明かとなる言です。
三千世界 月(第二文明)
第一文明のまま止まっていたのでは弥栄とは言えません。
そこで誕生したのが第二文明(フ)である物質科学文明です。『◯』
アイエオの精神世界を天と見なすなら、ウの物質的欲求世界は地となります。
天(大宇宙)が絶間無く弥栄しているように、それを反映する現実界でも同様に弥栄(繁栄)する必要があります。(真一つの天地調和の世界を成す為)
しかし、第一文明においては精神的結び付きが強く物質化学文明が思うように発展できません。
そこで、地を発展させ、天との調和を図る為に精神世界を敢えて封印したわけです。
この封印したものの中に『言霊』が含まれています。(古事記・日本書紀)
かくして、天孫降臨で邇邇芸命が降り立った日本という言霊幸はふ国は本来の力を抑えられることとなります。
物質科学文明を担った御役者
日本の地(故郷)から離れて物質科学文明の発展の御役を担ったのがユダヤ・石屋ということになります。
歴史的にユダヤを排除してきた過去の国々は物質化学文明(経済)において発展できませんでした。
現存するロシアなどは象徴的です。
かつてのイギリスや現米国が経済大国になれたのはユダヤのお陰です。
現在進行形の中国発展も同じくです。
因みにユダヤ・イシヤというのは言霊ですから、単に人を指しているだけではありません。
宗教とは
仏教やキリスト教といった教(おしえ)は法弁(方便)です。
大事なのは、お釈迦様やイエス・キリストの在り方(日)であり、“教え”をどこまで探求しようとも、それは「解釈」の域を出ないのです。
宗教の教えというのは全て月大神(陰)の御働きとなります。
例えば、仏教の真髄である「涅槃経」も奥義とされる「いろは歌48音」も、造形の有無や母胎・新たな生命の誕生といった「実体→体滅→気体(新命)→新実体」という「陰→陽→陰の巡り」という陰性真理の法弁を説いているわけです。
こと現実界においては、教(法弁)ではなく『道』を実際に歩むことが何より重要になるわけですが、歩み方や行き先が分からなければ此の世はぐちゃぐちゃになってしまいます。
その人が正しく歩める為の御働きを担っているのが月ノ大神様です。
夜道、即ち世道(四の理)を照らすかの如くです。
故に、法弁(智慧や学論など)は必要不可欠なコトでもあります。(ありました)
曼荼羅
密教(真言宗・天台宗)の本尊は、お釈迦様の智と理を具像化した大日如来で三身説でいうところの法身にあたります。
当のお釈迦様は中台や八葉院ではなく、外側である釈迦院に配置されているわけですが、実は上図の胎蔵曼荼羅におけるお釈迦様の位置こそ此れから来る世で求められる在り方です。
仏陀=お釈迦様の知と理を、全宇宙の存在を司るものとして定義し、これを人格的に捉えて可視化したのが大日如来であり、歴史上に実在した人である釈尊を法界性智(大日如来)の変化身として位置付けたのが密教です。
一、自性(法身)ー悟り自体
二、受用(報身)ー悟りの認識
三、変化(変身)ー悟りへの導き
仏教はインド(陰の戸)で開かれ、月氏によって伝承されています。
月大神(音月様・奥付様)
ツキヨミとは「付き読み」であり「付く、読む」です。
何に付き添い、何を読むのか?
それは日(ヒ)であり太陽であり天照大神であり、伊邪那岐大神から「天照大神と共に天を統らし夜の食す国を護れ」と仰せ仕ったの如く、純陽気から発せられる其の意(一)を読み解く(説く)役割を果たしているのです。
「月読」と表すと「月を読む」と人間目線で解釈しがち(この解釈が月読尊)ですが、お月様からすれば、日の側に付いて光を浴び、自身に当たる光を反射で満ち欠けを表現し、地球に在る我々に「概念」なるものを伝えているわけです。(概念が無ければ人は何も認知識別できません)
太陽が父(陽)ならば月は母(陰)です。(天と地で捉えたならば、天である日月は陽であり地である地球は陰となります。)
陽は霊(ヒ)であり気です。太陽は実体のない気の集合体です。
陰は、その暗闇と重みにより天から別れた実体(具現)です。
即ち月は地球と同じく実際に触れることができる現実化された物体です。
月は地球と同じように自転していて、私達が太陽の光を通して目にしているお月様の姿は同じ一面だけです。
お月様は自ら自転することで、対となる太陽にも子となる地球にも常に綺麗な一面だけを見せ続けています。(これを意思と言わず何と言うのでしょう)
月の裏面
黄泉の国にて、思うばかり伊邪那美命の忠告を忘れ、その変わり果てた姿を目にした伊邪那岐命は大きなショックを受け、同時に伊邪那美命の逆鱗に触れます。
それはそれはヒステリックな大激怒でした。
月のもつ陰性とは、まさに女性的ではありませんか。
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素戔嗚大神(ウの精神宇宙)
ウは生命的物質具現化欲求の精神宇宙であり、素戔嗚大神の御働きの世界であり、素戔嗚尊たる在り方を表す言霊です。
モノ(人は神・霊の入れ物)として現実界に生命する以上、物質的要素の縛りを受けます。
呼吸・食欲・睡眠欲・性欲などの生命活動における欲求を基本とし、物質的要素の縛りを応用して更なる高みへと突き進む現実界に生命する人ならではの欲求となります。
この欲求も元はと言えば、天を地にウつす(反映・繁栄)為の力を捻出すべく生み出されたものです。
力とは引用のバランス変化によって生じるウズ(渦)を以て発生します。
即ち、素盞嗚大神とは天下を知ろ食す右渦(陰性)の働きを担っている神様となります。
天御柱を伊邪那岐命が左回り(反時計回り・内回り)、伊邪那美命が右回り(時計回り・外回り)をして、陰陽の渦を形成しています。
スサノオの神名と天照皇大神
スサノオとは皇佐ノ王であり、*皇とは天照大神(太陽)、佐は早意補佐、*王は天下である現実界での存在を表し、オとウで成り立つ神名です。
皇…伊勢神宮の主祭神である天照大神の御神札には「天照皇大神宮」と文字が記されているわけですが、三の世においては、天照大神と月読大神の二柱(合わせて一柱)という意味になります。
王の音…ワウ(和と宇)、またはキミ(気と実)と発音します。
つまり、天照大神を補佐する天下を知ろ統し聞こ食す王、即ち『海原』たる働きがスサノオの神名の意味するところになります。
天下の王である海の表面積は約3億6千万 ㎢ で、これは地球の表面積5億1千万 ㎢ の約70%を占めています。
『大宇宙産霊小宇宙⇨体(地球)に占める水分(海水)の割合は約70%』
天国と地獄という概念
天国とは、天(例:真・善・美・愛なる心)が地(例:体・地球・此の世)にウつった(映る・移る・反映・繁栄・具現化・現実化)世界のコト。
地獄とは、天(憎・偽・悪・醜なる心)が地にウつった世界のコト。
つまり、天国も地獄も我々が生命している此の世(地球)のコトなのです。
私達が一般的に考えている天国なる国も地獄なる世界も本来ならば存在せず、己の心(天)が産み出した産物のコトを云うのです。
一二三神示『世(四)は心のままにウツルのぞ』
真は、言・行・心の三つが揃ったマコトであり、親切心や親心という音、神の御心でもあります。
善は、善い・全て。
美は、美しさ・光。
愛は、自他愛、天意、といった意味合いがあります。
三千世界 明(第三文明)
元々◉だったところから天の弥栄を気っかけとして更に栄えた天地完全調和を図るために◯が旅立ったと説明してきました。
◯は大宇宙でいうところのダークエネルギーに喩えられます。
闇が広がり覆うことで光は輝きを増します。
やがて星々が集まり、新たな宇宙の一部となって弥栄えます。
世界は・と◯、陽と陰に別れました。
神の御働きでいうところの、高皇産霊神(ア)と神皇産霊神(ワ)になります。
三千世界を前に確認しておくべきこと
◉から・と◯に別れた目的が、より善い真の天地日月一体と鳴り成る為であるという言です。
これを我善や人間心、平面的、小さな我、色眼鏡、片端(片輪・片和)で見ると、悪とみなしてしまうのです。
本来ならば善も悪もなく、弥栄の息吹(喜び)あるのみです。
悪(と思える)を悪と見なす、その心が悪となります。
今記事は大宇宙の話をメインにしていますが、小宇宙、つまり自身や対人関係においても同様のことが言えます。
何故ならば、大宇宙産霊小宇宙であり、そこには結び(産霊)即ち繋がり(リンク)が在るからでもあります。
悪を生み出す自分自身が結局苦しむことになるわけです。
「とは言っても、死んだらどうするの?」と不安を認知しているのが我です。
自分という存在は全て縦横+(天地日月)の繋がり(産霊:ムスヒ)によって顕れているわけですので、「全てが自分」と溶け入ること、即ち「我を無くす」「全てと一つとなった大きな我を持つ」ことで、不安は消えるはずです。
三千世界は一つのミコトとなること
『吾と我・自分と他人・男と女・心と体・天と地・日と月・精神文明と物質科学文明』が一つ(日と付く月)と鳴り成った時代を第三文明(ミ)とします。
現在、皇紀2662年。(西暦2022年)
物質科学文明はお陰様で今迄にないほどの発展を成し遂げてきました。
「天の弥栄」に「地の弥栄」もある程度追い付いてきたと言えるかも知れません。
後は、未だ追い付いていないと”思う”分の物質科学文明の発展を達成し、一つに戻ることです。
つまり、別れて今なおご苦労な御役を果たしている○(月・地・ユダヤ・石屋)と手を握ることで真の世とすることです。
戻るとは言っても以前とは違い、天地共に更に弥栄した新しき世の在り方に鳴り成ることです。
三千世界のミロクの世
一二三神示では天地日月・三界が一つと鳴り成った状態をミロク(日月)の世と記しています。
一つに戻すこと自体は神々様の御働きで、場合によってはその神力(天変地異など)出して成すこともできるのでしょうが、臣民(神民)の手によって、そのカタ(形・象)だけでもよいので成されることが期待されています。
何事も時節というものがあるので、私たちは急がなければなりません。
これは私がブログを書き始めた気っかけでもあります。
弥勒菩薩
ミロクとは仏教で云うところの弥勒菩薩を指します。
弥勒菩薩とは、仏陀の次に悟りを開くことが約束された未来仏とも云われ、お釈迦様(仏陀)の入滅から56億7000万年後にこの世に下生し多くの人を救うとされる菩薩です。
56億7000万年後は地球を含む太陽系の寿命と一致しています。
数霊のミロク
ミロクを数霊で表すと六六六となり、三界の六を示しています。
六の言霊は「ム」で、ムの母音はウです。
つまり、この数霊は「無」から「有」が生まれることを示唆しています。
数え唄⇨ 一二三四五六七八九十
また、369の法則にあるように、3=創造 6=維持 9=破壊 も表します。
まとめると、ミロク(六六六)の世とは、世の元から決まった流れ(数え唄)であり、大神様の息吹(弥栄)であり、三界(神霊界・幽界・現実界)で同時多発的に起こることであり、天地日月と三界が一つとなることであり、古い天地日月が無となり新たな天地日月が有となることです。
また、一二三神示には五六七をミロクと記してあります。
五六七とはコロナであり、世界中で大流行したあのコロナでもあり、皆既日食(日と月が一つになる)時に現れる希薄なガスであるコロナのことでもあります。
一二三神示とジョージア・ガイドストーン
”吾と我・天と地・日と月・精神文明と物質科学文明が一つと鳴り成った時代を第三文明…”
「鳴り成る」の鳴りとは言霊の交差交流の響く様子を表すので、来たる第三文明において言語の統一は必須となるでしょう。
一二三神示『外国の言なくなるぞ』
又、ジョージア・ガイドストーンには以下の文言が石板に刻まれています。
ジョージアガイドストーンが示すこと
石板に刻まれた十のガイドラインの三番目を見ると、『新しい生きた言葉で人類を団結させる』とあります。
これは人だけに示されたことではありません。
“団結させる”とあるように、神々様も守護霊も何もかも全てに対する大神様からの意宣り、宣言となります。
四つの大石板の両面、計八面のそれぞれに八つの言語で上画像のガイドラインを含む文言が刻まれています。
言語は建造物の北側から時計回りに、英語⇨スペイン語⇨スワヒリ語⇨ヒンディー語⇨ヘブライ語⇨アラビア語⇨中国語⇨ロシア語です。
この他の言語については様々な見解があると思います。
それにしても何故、日本語が無いのか?
それは日本語(アイウエオ五十音)が創始の大神だからに他なりません。
仏陀も聖キリストもモーセも何もかも、天詞様(真名:アイウエオ五十音)から産まれているではありませんか。
天名十七神(天御中主〜伊邪那美神)により産み組まれた五十音図なので、天の子、即ち「天詞」です。
邇邇芸(天の二の二の義)ノ御言は、天名の子(天詞)の子、つまり孫に当たるので天孫降臨と云います。
いろは歌と摩耶夫人・聖母マリア
涅槃(入滅)経に訳され仏教奥義とされる空海の遺した「いろは歌(48音)」は妣(はは)いろはであり、四十八音の麻邇(マニ)言霊を連ねて出来ている此の歌は三世諸仏の母である摩耶夫人そのものを表しています。
亡き母⇨最後となる言霊「ん」で産霊を終えた母胎(五十音図)
天詞様(50音)の内の48音を連ねた「いろは歌」は陰性の歌です。
この四十八音を仏教では摩尼宝珠(如意宝珠・チンターマニ)・一切種智と云います。
いろは歌
諸行無常 いろはにほへと ちりぬるを
是生滅法 わかよたれそ つねならむ
生滅滅己 うゐのおくやま けふこえて
寂滅為楽 あさきゆめみし ゑひもせす (ん)
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