喜びを生む方法『嬉し嬉しの仕組』

大宇宙産霊小宇宙
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喜びを生む『大宇宙産霊小宇宙』

ウロボロスの蛇

喜びを生む為に、この世は大宇宙と小宇宙の産霊(結)によって成り立っています。

大宇宙とは一般的に私達が認識している現実に目に見える世界のことを指します。

小宇宙とは、私達「人の内」を指します。

大宇宙にあるものは全て同じものが、私達一人一人の内にも小宇宙として存在するということです。

大宇宙にあるもの全てですから、小宇宙の内に在るモノとして「人類」も含まれます。

つまり、自身の内なる宇宙にも、もう一人の自分が存在していることになります。

それだけではありません。

大宇宙産霊小宇宙ですから、これらの次元は目には見えない霊的な緒で結ばれているのです。

この産霊(結び)は、現在物理化学の世界でも明らかになろうとしており、理論上は解明されています。↓

この大宇宙産霊小宇宙という次元を超えた結びの現象を表したものを『ウロボロスの蛇』といいます。

宇流穂流巣の経比

喜びを生む為に押さえておくべき「言う」というコト

「言う」とは言葉を発する事ですが、別の解釈もできます。

イウとは意を宇宙に生み出すコトです。

イは意思や意識の意で、ウは内なるそら(ちゅう)、感覚を意味していて、「言う」⇨「意宇」と表せます。

これが意味するのは、言葉として発声しなくとも、その内容が意識されたならば「言う」ことと同義になるということです

そして、自身の内なる世界である小宇宙で顕れたその意は、大宇宙と繋がり結び付き現れることとなります。

ここで大事なのは、言葉にならずとも意は通じ、大宇宙を通して自分自身に影響を与えるということです。

喜びは愛と誠と共に現れる

喜びとはどういう時に体感できるものでしょう?

一つは愛。

もう一つは誠です。

愛とは与えること、誠とは口・行・心の三つが揃っていることです。

愛だけではならず、誠だけでも不十分です。

二つが揃って、真の喜びとなりえます。

人は愛と誠を受け取った、感じた時に喜びを得ることになります。

喜びを生む方法

一般的に喜びを感じるのは、人から「愛や誠を与えられた時」です。

これは間違いありません。

しかし、これまで説明してきたことを整理すると、逆様の道理が現れます。

逆ですから、自分が人に「愛や誠を与えた時」になります。

人に愛や誠を与えると、その与えられた人は喜びます。

その人は感謝を言葉にしようがしまいが、それを意識した時点で「言った」コトになります。

先述したように、「言う」とは「意宇」ですから、相手が意識した時点でその人の小宇宙内には喜びが産まれているわけです。

そして、その人の小宇宙に起きたコトは大宇宙に反映されます。

自分自身はこの大宇宙の中にいるわけなので、当然その影響を受けます。

また、相手の小宇宙は、大宇宙を反映した自身の小宇宙の内の人でもあります。

よって、相手の小宇宙と自身の小宇宙は同じであるので、相手が「嬉しい」と喜びを感じた時点で、自身の小宇宙にも相手と同じ喜びが産まれることになります。

(これが他人も己も自の分という道理です)

つまり、喜びを与えることが自身の喜びを産む方法になるわけです。

相手の喜びを感じ取れない、自身の喜びとして反映されないのは、一二三神示でいうところの「身霊が曇っているから」ということになろうかと思います。

喜びを生む「嬉し嬉しの仕組み」

受け取った人が喜ぶのは当たり前として、与えた側にも喜びが舞い込んでくる感覚は誰にでもあろうかと思いますが、これは単にお礼の言葉やお返しの品を頂けたから嬉しいのとは訳が違います。

言葉や返礼品が無くとも、与えることで自分が戴けるのです。

この世はなんと素敵な仕組みで成り立っているのでしょう。

この道理さえ心得ておけば、自分は愛と誠を周囲に与えていくことでドンドン幸せになれます。

同じ小宇宙の繋がりありますから、自分が幸せになるということは、他の人も幸せになるということです。

小宇宙と大宇宙の繋がりありますから、自分が幸せになるということは、世の中が幸せになるということでもあります。

与えたからと何かを期待する必要は無いのです。

見返りが無いからといって腹を立てる必要も全く無いのです。

与えることで自分も戴ける道理ですから、愛も誠も底尽きるどころか、無限に深く広く、その喜びの和は全てを包み込んで生きます。

まさに『嬉し嬉し』の仕組みです。

◉の解釈の一つ

○を大宇宙、・を小宇宙と捉えると、◉と表せます。

この・の内にはさらに(・)が在ります。

(・)の中から喜びが出てきたら・の喜びになり、それは○の喜びになり、それは◉全体の喜びとなります。

喜びを生む為の誤った考えに要注意

自分が幸せになればよいとはいっても、自分だけが幸せになれば善いという訳ではありません。

自分だけが幸せになろうとすれば、相手は不幸になりますから、その相手の小宇宙に産まれた「不幸」が産霊の働きにより、自身の宇宙に反映され返ってきます。

この自分勝手なコトを我義われよしと云います。

我義とは「別れた善」とも「割れた気」とも表せ、真の喜びは産まれず得られず、それどころか自身の気の毒に繋がります。

この世は我義では本当の幸せは得られない仕組みです、恐い仕組みです、素敵な仕組みです。

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